2006.01.29.(SUN)

Aiichiro Kohno

 

早稲田大学商学部 総合教育科目憲法B2

平成17年度 秋学期定期試験 予想問題

 

 

【問1】 精神的自由権に関する論述問題

 

<予想例1> 日本国憲法に規定されている自由権の中で、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由などの精神的自由権について述べなさい。(600字)

 

<予想例2> 日本国憲法に規定されている表現の自由について、学説や判例を取り上げつつ、説明しなさい。(500字)

 

<予想例3> 日本国憲法に規定されている信教の自由の解釈について、(確定した判例などを取り上げつつ)説明しなさい。(400字)

 

以下の文章を、設問によって取捨選別(例えば、例1では下線部を除く)などして解答すればよい。

 

精神的自由権とは、身体の自由、経済の自由とともに自由権的基本権を構成するものである。思想・良心あるいは信教など、人の内心に関する自由と、それが外部に表現される場合の自由である表現の自由から構成される人間の尊厳を支える基本的条件である。

思想・良心の自由とは、憲法19条で規定され、人間の内面に作り出される思想・信条や道徳的価値観は、権力の干渉することのできないものであるという原理である。これに関し、広く内心の活動一般を不可侵とする内心説と、人生観・世界観・思想体系などのみを保障しているとする信条説が存在する。信教の自由は、憲法20条で規定され、一般に広く宗教の自由を意味し、信仰の自由・布教の自由・宗教結社の自由などが含まれている。この憲法20条には、国家の非宗教化、宗教の私事化を確立し、信教の自由を制度的に保障する政教分離の原則が記載されている。これを財源面から規定しているのは、憲法89条である。この原則は、国家の行為が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になることを禁止している。信教の自由には限界が存在し、他人の生命、身体等に危害を及ぼす行為は、反社会的なものであり、信教の自由の保障されるところではない。また、信教の自由は、公教育の宗教的中立性を妨げるものではあってはならないとされる。

言論・出版・集会・結社・報道・取材などの表現の自由は、憲法21条で規定され、人が考えたことや知った事実を発表する自由である。この自由は、個人の自己実現や民主主義の実現の基礎となる重要な自由であり、その制約については、経済の自由などに対して、より厳格な基準で審査されなければならないとする「二重の基準論」が存在する。これによると、表現の自由に対する規制は、公共の福祉に対する「明白かつ現在の危険」がある場合、すなわち、規制対象とされる行為が「害悪」をもたらすことが明白であるときに限られ、できるだけ人権抑圧的でない手段でなければならないとする。表現の自由を保障する憲法21条では、公権力が、外部に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、必要がある時は、その発表を禁止するという検閲を禁止している。しかし、税関検査・有害図書規制・教科書検定制度・裁判所による表現行為の事前差し止めなどはこの検閲に当たらないとされる。報道・取材の自由における判例によると、人格の尊厳を害する取材行為は許されないが、社会的活動の性質や社会的な影響力によっては「公共の利害に関する事実」にあたり、プライバシーを公表できる場合があるとされている。

 

 

【問2】 社会権に関する論述問題

 

<予想例1> 日本国憲法に規定されている社会権の中で生存権について、その概要を、法的性格と福祉国家の諸問題などを含めて述べなさい。(600字)

 

<予想例2> 日本国憲法に規定されている生存権について、社会権での性格や生存権の概要、その法的生活について述べなさい。(500字)

 

<予想例3> 日本国憲法に規定されている生存権に関連して、福祉国家における役割や自由権との関係について説明しなさい。(400字)

 

以下の文章を、設問によって取捨選別(例えば、例1では下線部を除く)などして解答すればよい。

 

近代市民憲法は、封建体制を否定して資本主義体制を創り出すために、財産権を中心とする自由権の保障を規定し、「国家からの自由」を実現したが、その自由権は社会的経済的弱者に対しては脅威となる。そこで、現代市民憲法は、社会的経済的強者の大きな経済活動の自由を積極的に制約するが、弱者にとっては、「国家による自由」である社会権を保障して人間らしい生活を確保しようとしている。社会権とは、全ての国民が、「人間たるに値する」生活を営む権利のことであり、1919年、ドイツのワイマール憲法において世界で初めて規定された。このため、社会権は、20世紀的基本権とも呼ばれ、日本国憲法では、生存権・教育を受ける権利・勤労権・労働基本権として保障している。

生存権は、憲法25条で規定され、社会権の一種であり、「健康で文化的な最低限度の生活」、すなわち、人間の尊厳にふさわしい生活を営む権利である。また、憲法25条では、国に、社会保障・社会福祉・公衆衛生などにより、生活保障を行う努力義務を課している。

ここで、「健康で文化的な最低限度の生活」という憲法上の記載について、いくつかの学説がある。プログラム規定説では、憲法25条は、国の責務を宣言したのにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではないとし、判例として朝日訴訟が挙げられる。法的権利説では、25条が法的権利として生存権を保障するとし、中でも抽象的権利説では、25条自体が具体的な義務や権利を生まないとするが、具体的権利説では、国会が具体的法律の立法義務を求めている。

 このような生存権は、以下のような性質を持つ。まず、国民の生存権によって国に求められる公的扶助は、所得の再分配によって、富者からの税=金銭を貧者に付与し、全ての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する。すなわち、自由権が富を生産する原理であるのに対して、生存権はそれを分配する原理となる。このため、富の有無が、生存権が整備された福祉国家の成否に影響する。また、生存権は、所得の再分配を実現するため、貧者にとっては自由権を補完する存在であり、富者にとっては自らの自由権と対立する存在であることがわかる。しかし、貧者の方にも、自由権への欠如の認識と獲得の意欲が求められ、結果として、生存権は、貧者の自由権の実現のための手段として存在し、貧者の生存基盤が確保され、自由権を行使できるようになった時点でその役割が終焉するとする考えがある。