2005.10.18.(TUE)

Aiichiro Kohno

〜10月18日 ナチスの全体像を探る試み〜

 『ナチスによる権力掌握』

 

 

1 ナチスの権力掌握過程と第2次大戦へ向かうドイツ

 

a)ミュンヘン一揆まで

 

1918 第一次世界大戦終結

19 ヴェルサイユ条約 ワイマール憲法成立

    →海外領土を全て喪失し、軍備を大幅に制限され、莫大な賠償金を請求される

    →極度のインフレ、極左・極右勢力の攻撃によって政情不安定

   ヒトラーがドイツ労働者党に入党

    →反ブルジョワ主義・反ユダヤ・国粋主義などの25か条綱領を作成

20 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に改称

21 ヒトラー、党首に就任

突撃隊(SA)創設

23.1 フランス・ベルギーによるルール占領→破局的インフレ

    →ナショナリズムと対外強硬運動が結びつき、反ヴェルサイユの風潮

    →ナチス、SAによるミュンヘン一揆・・・ルーデンドルフ参加

    →失敗し、ヒトラーは、投獄され、ナチスは解散を余儀なくされる

    →ヒトラー大衆政党への変質の必要性を悟り、合法路線へ転換

 

b)合法路線下での小康期

 

23.11 レンテンマルク発行

24 ドーズ案

25 ロカルノ条約

ヒンデンブルク、大統領に就任

   ヒトラー、釈放され、党再建 親衛隊(SS)創設(長官;ヒムラー、29〜)

26 国際連盟加盟

 

c)大恐慌とナチス政権獲得

 

29 世界恐慌開始 

30.1 ヤング案調印

・・・賠償金額は制限するが賠償義務年限を延長。国民の政府への反発が拡大する。

30.9 ナチスの反ヤング案闘争により、総選挙で大量進出(第2党)

 

【ナチスへの支持(議席)拡大の背景】

@ナチスの政策による中間層の支持

*資本主義批判、ヴェルサイユ体制破棄、対外膨張、秩序修正、マルクス主義(社会主義、産業の国有化)、福祉政策の推進、ユダヤ人排斥、

→大恐慌以後に没落した中間層の支持を得る

A敗戦の理由を一部のユダヤ人への裏切りに求める保守層

Bドイツ全体において戦争責任への自覚も希薄

C左派勢力である社会民主党と共産党の反ナチス連合が成立しなかったこと

DSS・SAを中心とする大衆動員と暴力運動

Eゲッベルスが演出する巧みな選挙戦術

・・・理性ではなく感情や視覚的イメージに訴える

(例)莫大な量のビラ・ポスター、ネガティブ・キャンペーン、政見放送(ラジオ)、SAの行進による宣伝

 

31.5 オーストリア中央銀行が破産し、経済恐慌が起きる

31.7 金融恐慌がドイツに到達 

32.7 総選挙でナチス第1党となる

32.11 ナチスの議席減 共産党の躍進

    →共産党の台頭を嫌う資本家がナチス支持を決意

33.1 ヒトラー、ヒンデンブルク大統領に首相に任命され、ナチス政権成立

    →直ちに下院を解散し総選挙

33.2 国会議事堂放火事件

33.3 総選挙勝利

    →全権委任法(授権法)成立

    ・・・国会・大統領などの承認なしに、政府が立法権を行使できることを定めたもの

cf;国家人民党

33.7 ナチス一党独裁完成 以後、党と政府の同一化が進む

 

<参考 ナチスと共産党の議席数の割合の変化>

 

 

d)戦争まで

 

33.12 国際連盟脱退

34.7 「長いナイフの夜」

    →SA長官のE.レームらナチス党内左派(ヒトラー反対派)を粛清

34.8 ヒンデンブルク大統領死去 ヒトラー、大統領を兼ね、総統となる

35 再軍備宣言 義務兵役復活

36 ロカルノ条約を破棄 ラインラント進駐

36 ベルリン=ローマ枢軸の成立

    ←独伊両国の国際的中立

37 日独伊防共協定

38 オーストリア併合

   ミュンヘン会談によりズデーテン地方獲得

    ←英仏の融和政策

39 チェコ=スロバキア解体

   独ソ不可侵条約

    →ポーランド侵攻(第2次世界大戦勃発)

 

 

2 他のファシズムとの比較

 

<イタリア;ファシスト党の場合>

 

1919 勝戦国にもかかわらず、ヴェルサイユ条約で「未回収のイタリアを回復できず」

     ムッソリーニ、「戦闘者ファッショ」を結成 フィウメを占領

1920 北イタリアでストライキ多発←ロシア革命の影響

1921 イタリア共産党成立

     ファシスト党成立

・・・中産階級に支持され、社会主義勢力の伸張を恐れる資本家・地主・軍人の支援と社会安定を実現する権力の出現を期待する空気を受けて党勢を拡大

1922 ローマ進軍 

    →ムッソリーニ、国王から組閣命令を受けて、ファシスト党政権誕生

1924 ファシスト党、総選挙で第1党に躍進 

     フィウメ併合

1926 ファシスト党一党独裁完成

1927 アルバニアを保護国化

1928 ファシズム大評議会が最高機関(ファシスト党が、正式に国家の一機関となる)

1929 ラテラン条約

・・教皇庁と和解し、バチカン市国成立を認める

1935 エチオピア侵入

1936 ベルリン=ローマ枢軸

 

<ナチス・ドイツとファシスト党イタリアの比較>

 

◎共通点

@対外膨張の動き

【背景】 ドイツはヴェルサイユ条約により全ての海外領土を失い、イタリアは後発帝国主義国として植民地の獲得に遅れていた。

A過去に市民革命が失敗に終わり、民主政治の伝統が根付いていない。

B共産主義の拡張に対し、中間層、保守層(資本家・軍部)がファシズムを支えた

 

相違点

@ドイツが政権獲得から2年以内に独裁体制を固めたのに対して、イタリアでは数年もかかった。

Aドイツではヒトラーが総統として国家の最高位に君臨できたが、イタリアでは独裁体制完成後も強権を有する国王が存在した。

 

 

【参考文献】 

教養人の世界史・下(岩間徹/山上正太郎著) 社会思想社

世界史詳覧 浜島書店

ウィキペディア日本語版 http://ja.wikipedia.org/wiki/

世界の歴史 筑摩書房