2006.10.13.(FRI)

Aiichiro Kohno

〜テーマカレッジ演習 自然科学を読む〜

私が取り扱いたいテーマ

 

 

1 科学と理性

 

 自然科学の発達によって、人間の生活はより豊かになったが、その裏腹、人間に危害を与えてしまうものもある。例えば、簡単なもので言えば、自動車がある。自動車普及によるモータリゼーション社会の到来によって、移動における利便性を享受しているかと思いきや、毎日、日本だけでも約20人が交通事故によって亡くなっている。他にも、原子力発電やクローン技術、その他、公害全般を引き起こすような工業などがあろう。

 しかし、現在に至るまで、自然科学の発達によって生み出された、あらゆる技術に対する危険性が指摘されていても、人間は技術開発をやめようとはしない。なぜならば、多くの人間が、技術開発によるリスクよりも利益の方が上回ると考えているからである。たとえ、いざとなった際に甚大なる被害をもたらすであろうという核技術に対しても、国家や企業は合理的に扱っていくからとりあえず安心だ、と人々は信じている。

 ここで、核技術に関する話を取り上げる。現在、世界の大国とされる国は核兵器を持っている。それは、一瞬にして国ひとつを焼いてしまうほどの威力を持っている。そして、互いに牽制し合っている。だからといって、核兵器を国の人々やそれによって守られている国の人々は、実際に核兵器が未来永劫、使われるとは、ほとんど思っていない。なぜならば、核兵器を動かすであろう国家の指導者は合理的に行動するであろうと信じているからである。というのは、例えば、核保有国であるA国とB国が敵対していて、A国がB国に対し核ミサイルと落としたら、B国は甚大なる被害を受けるので報復し、A国も核による被害で破壊される。つまり、核兵器を行使しても、結局、自分たちにも耐えがたい被害を受けるので、核兵器を行使することは合理的とは言えないのである。よって、国家が合理的に動く限り、実際に核兵器が使われることはないだろう。

 しかし、逆に言えば、その合理的という前提が崩れ去れば、核技術は極めて危険であると言うことが分かる。というのは、自分たちが破滅しようとも構わない、と考えている場合である。例えば、イスラム原理主義勢力の一部は、守るべき国家がなく、しかも神への帰依をエスカレートさせ、理性を失い、自爆テロを起こしている。本来、人間は自分の生命を維持することを最低限度の条件とするので、自爆テロ=自殺は非合理的な行動であるはずである。このようなテロリストや、たとえ国家であっても、理性が欠けている指導者の管理下に核兵器が渡れば、自分たちへの被害をも省みないので何をするか予測不可能であり、極めて危険である。

 このように自然科学によって生み出された技術が、非合理的な者の手によって扱われるといかに危険であるか、また、それを防ぐにはどうすべきか、ということについて考えていきたい。

 

2 科学の限界

 

 18世紀の産業革命以降、科学技術の発展は留まることを知らない。しかし、科学を開発し、それを利用していくのは人間である。その人間時代の能力の向上のスピードは、科学の発展の勢いとは比べ物にならないくらい遅く、ほぼ人間自体は不変と言える。本来、科学は限界があるものではないだろうが、人間の能力は限界があるので、それにより科学の進歩も限界にたどり着くのではないかと思う。

 このようなことについて、われわれ人間自体の能力について調べ、どのような場合に人間による科学の発展が限界に来てしまうのか、あるいは科学は人間の限界自体も克服するのか、といったことについて考え、科学の将来を見据えてみたい。