5月11日現代資本主義システム「日本の雇用政策」について

 

0) テーマにおける提案内容の再確認

 

このテーマにおいて、今後の社会や人々に望まれることとして、以下の3つのことが必要であると提案されていた。

 

@   年齢にかかわりなく活躍できる生涯現役社会

A   職業人生途中で円滑に滝行に移動できる流動性の高い雇用制度

B   個人の市場価値を高めることのできる市場型能力開発

 

 

1) 定年の延長(働く年齢の延長)について

 

@に対する政策として、年金制度の見直しが必要であるとされている。しかし、現在、国会の中で進められている年金制度改革は、財源の確保に主眼が置かれており、このゼミで主張されていた雇用政策の観点のものではない。では、労働力確保を目標として考えた年金制度改革はどのようなものが挙げられるであろうか?

そもそも、なぜ労働力確保のために年金制度の見直しが必要であるかというと、現在の年金受給開始年齢である60歳以降に働き続ければ続けるほど、生涯、受給する年金の総額が減少するからである。つまり、60歳以降の労働は、働き損を含んでしまうのである。だから、労働力確保を目指すならば、働き損であると感じないように、年金受給年齢すなわち定年を引き上げてしまえばよいのではないだろうか。

確かに、生産年齢ではない老人年齢とされる60代以上の方を労働させるのは、肉体的にも厳しいという意見もあるのかもしれない。しかし、国民皆加入となっている国民年金を例にとれば、この年金受給開始年齢が60歳とする設定がなされたのは、繰上げ支給として定まった年で見ても、昭和36年のことである。すなわち、団塊の世代が幼年人口にふくまれていたという、終戦から16年しかたっていない頃のことなのだ。高齢化が急速に進んだ現在とこの頃では人口構成がまるで違い、制度は、当然、財源的にも保つわけがないが、高齢者の状態も甚だ異なるだろう。例えば、平均寿命はこの間10歳以上も延び、世界一の長寿を誇っている。よって、年金受給年齢や定年も10歳ほど延ばし、限りなく70歳ほどにしてしまってもかまわないであろう。

 

2) 時短と能力開発について

 

 Bの個人の市場価値を高めることの方策として、資料では、労働者個人が自分自身に能力開発を行うべく投資し、そのために、労働時間の短縮が必要であると主張する。確かに、労働力の流動化が進めば、企業としても労働者に対し能力開発を行いたがらないかもしれないが、この主張は矛盾を孕んではないだろうか。というのは、ただでさえ、子供の教育費の高騰が家計を圧迫しているが、社会人の能力開発の高額な費用はどうするのかということである。個人が自分自身にする投資なのだから、個人自身が負担するのに違いない。そのためには、賃金の上昇が不可欠であろう。だが、能力開発の時間を確保するために、大幅な時短も必要であるが、これにより賃金の低下が避けられない。労働者の能力開発をケチるような企業が、大幅な時短に対し、賃金を維持してくれるだろうか。それは、ありえないだろう。よって、個人自身だけの手によって能力開発への投資をするのには無理があるのである。

 では、どうすればよいか。難しい問題であるが、単に批判するだけでは無責任なので、多少なりとも提言を述べておく。労働力の流動化が避けられないならば、例えば、働き先の会社ではなく、派遣労働を斡旋する会社が、登録している労働者に対し能力開発を行うのはどうであろうか。これならば、働き先での労働の流動化はあろうが、能力開発された労働者が派遣会社の下にいることは変わりなく、その労働者が育成された能力を生かして活躍すれば、労働者・派遣もとの企業双方の利益にもなるので、企業による能力開発は企業自体にとっても意味のあるものとなるであろう。

 だが、上の提案はひとつのパターンにすぎない。労働政策は私の最も関心のある事項のひとつなので、これから考えてみるつもりだ。