2005.11.30.(WED)

Aiichiro Kohno

 

〜11月30日 現代資本主義システム論

 『現代日本における“学歴社会”』

 

 

0 はじめに

 

 今年か来年をピークに、日本の総人口は減少に転じる。また、再来年から2009年にかけては、団塊世代の大量定年で労働力が激減する。結果、日本経済は約16兆円のGDPを失うとの報告(財務省財務総合政策研究所)もある。この人口減少・労働力減少は日本にどれくらいの悪い影響を与えるのであろうか。

国土が狭く物的資源もない日本が、戦後、高度経済成長を成し遂げ世界第2位の経済大国まで成長し得たのは、唯一の資源といっても過言ではない人材が、質の高い勤労を提供し倹約と貯蓄を行っていたからである。すなわち、日本において労働力が減少するということは、他の先進国の場合と比して、より著しいダメージを経済に与えることにつながるのであるが、人口減少の原因である少子化は、現状では解決しがたい極めて難しい問題である。だからといって、外国人労働力を受け入れることに対しては、日本人の多くが抵抗感を持っており、様々な問題を含んでいるので現実的ではない。ここにおいて、人口減少社会が一定の間、持続していくという状態が回避できないならば、現時点で予想できる労働力を効率良く生かしていく、すなわち、日本の労働市場における非効率な部分をできるだけ取り払っていく以外、日本の経済力を維持する手はないのではなかろうか。

現状の日本において、労働の効率性を向上させる手段として、大まかであるがいくつか考えることができる。例えば、日本は他の先進国と比べ、女性の社会進出が遅れていることは有名なことであろう。この女性の社会進出の門戸を広げ、その能力をより発揮できる社会を作り上げることは、労働力をより効率化させるのに有効な手段となろう。また、日本経済にとって生産力の向上にさほど寄与していない産業に従事する労働力を、より生産力の強い産業、すなわち日本の得意とする産業に、振り向けていくことも、労働力を効率よく回転させていくという意味では有効な方法となる。

また、名目的な生産が低下しても、それを効率良く生かす、つまり、無駄遣いをしないことに努めれば、実質的な経済力は維持できる。例えば、巷でよく叫ばれているのは、政府の財政支出の縮小化である。財政の倹約によって余剰された資金を他の経済的な分野に投入できれば、少なくなったGDPを効率良く回転していることになるだろう。

今回のゼミでは、日本の労働市場における非効率な部分であり、かつ、消費市場としても家計において浪費な部分を生み出している社会現象である学歴社会を取り上げ、その問題点を追求してみたいと思う。

 

 

 

1 学歴社会とは何か?

 

今回においては、学歴社会を次のような意味合いの事柄として扱う。

 

日本における学歴社会とは、(最終的に)どのような学校、特に入学選抜における偏差値の高い大学に入学し卒業したかが偏重される社会のことである。この社会においては、職業選択、給与体系、出世速度などが左右される部分が存在し、また、そのために、各家庭・各組織(学校、塾、予備校など)において、高学歴を獲得することが優先順位の高い目標となり、進学成績の良い中等教育機関などへの進学をも目標に位置付けられる。

 

 

 

2 “学歴社会”によって引き起こされる労働市場における非効率

 

a)そもそも学歴自体に意味はあるか

 

←高学歴に位置づけられる学校では、本当に実質的な能力を向上させるための教育が行われているのだろうか?また、日本の場合は、入学することに重点が置かれているとされるが、入学試験の突破で“頭のよさ”を判別しうるか。

 

b)学歴によって就職が決まることについて

 

バブル崩壊以降、一般企業において学歴で採用や出世が左右する傾向は弱くなってきたが、以前、銀行業界、国家公務員などでは学歴は重要なポイントであり、また、他の業種でも学閥や既に組織内に存在するOBの影響によって、学歴が有効に働く場合がある。

 

←高学歴でなくともその職に対し能力を持つ人材が多く存在するのであれば、高学歴偏重はその人材の有効活用を妨害、すなわち、労働の非効率を生み出しているのではないか。

 

⇔莫大な人材を選抜するための機会費用との兼ね合い

 

 

3 “学歴社会”と家計やその他の部分における非効率

 

a)家計において“学歴社会”のために放出される支出の割合

→【資料1】を参照

 

・・・子どもの人生全般において必要とされる能力の向上のために教育費が費やされるのならまだ分かるが、単に、“学歴社会”で求められる高学歴を獲得するために必要な入学試験を突破するだけに、莫大なお金が費やされるのはいかがなものか。社会にとって、その分のお金は、別の生産力を向上させる分野やもっと有益な分野に回された方が良いのではないだろうか。

 

b)学歴を介した階級社会

 

・・・大学の入学選抜における偏差値と親の平均年収は比例するというデーターは各種情報誌によって見ることができる。すなわち、高収入の家庭の子供は高学歴になる傾向があるということである。この前提に立って、“学歴社会”を正当化するとどのような事態が予想されるか。“学歴社会”においては、高学歴の者が高収入を得ることができる職に就いてしまう。その結果、その高学歴の者の子は高収入の家庭に生まれたことになるが、このような家庭の子供は高学歴を得る可能性が強い。つまり、このスパイラルは永遠と繰り返され、高収入の子供は高収入、逆に低収入の子供は低収入という状況社会が固定化し、学歴を介した一種の階級社会を形成するのではなかろうか。これは、個人の潜在的能力を社会で発揮するということを阻み、やはり社会的に人材活用の非効率なものとさせる。

 

c)既存の学校の軽視

 

・・・小学校、中学校、高等学校という既存の学校は、公的な存在として家計から莫大な学費だけではなく、かなりの額の公費が投入されているが、このような学校では受験には対応できないということで、ここでの授業が(生徒本人のみならず教師においても)軽視され、進学塾や予備校の方に重点を置かれてしまっている場合も多く見られる。この状況は、既存の学校に投入される費用が無駄になっていることのみならず、時間も無駄になっているのである。

 

(以下、資料につきWEB版では省略)

 

※事後資料についてはhttp://aichang.blog10.fc2.com/blog-entry-14.htmlを参照せよ。