6月1日・8日現代資本主義システム「日中関係」について

 

(0) 今回のテーマにおける内容の再確認

 

<6月1日>上海・香港(中国江南地方)勤務の中国人への電話・メール調査

a)インタビュー結果

@05年4月前後に発生した反日運動(反日デモ)への賛否は半々である。

A日本との戦争についての歴史認識については、日本に対し反感を持っている者が大半である。

B日本の常任理事国入りの動きに対しては、無関心である者が多い。

C中国人には愛国心があり、“自分達は中国人である”という意識が強く感じられる。

b)中国の方の意見として、

「もっと両国民同士が話し合う機会があったほうが良い」

 

<6月8日>大連(中国東北地方)出身の在日中国人留学生(女性)への質問会

@現在の中国共産党は、腐敗などにより、中国国民の人気を失い、国民の約8割から快く思われていない。

A中国人は自分の歴史や国に誇りを持っているものが多い。

B中国共産党党員になるためには、かなり優秀な学業を修めないと、かなり難しい。

 eg;「学年で1・2番でないとなれない」など

C日本に比べ、中国では男女平等がかなり進行

D反日デモの参加者の大半は、面白半分・散歩がてらなどで参加した者が大半である。

E中国が発祥である儒教的道徳は、現在の若者においては、日本と同様に薄れてきている。

 

 

※以上はあくまでも、一部の中国人の方からの情報に過ぎない。

 

 

 

(1) 中国に対する見解

 

 “中国”とは何か。まずは、その基本的な言葉の意味から考えたい。広辞苑第五版において、相当するものを挙げると以下のように書かれている。

 

ちゅうごく【中国】

A世界の中央に位置する国。自分の国を誇っていう語。

 

これでは、世界の中心ということは分かるが、具体的なことが書かれていない。本当に日本の西方の隣国である中国のことを示しているのか確信を持てないのかもしれない。そこで、「中華人民共和国」や「中華民国」の国号に使われている「中華」を検索してみた。

 

ちゅうか【中華】

中国で、漢民族が、周囲の文化的におくれた各民族(東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北(ほくてき)と呼ぶ)に対して、自らを世界の中心に位置する文化国家であるという意識をもって呼んだ自称。中夏。

 

お分かり頂けただろうか。“中国”とは、略字でも当て字でも地理的状態を表した言葉でもなく、趨勢的なニュアンスとして世界の中心の国であるという意味をもつ。すなわち、この国の支配者や人民は、自分達が世界の中心にいるという意識を自動的に持つことになるのである。例えば、一時期の例外はあるものの、中国の歴代王朝は、基本的スタンスとして周辺の国や民族を化外の地(皇化の及ばぬ地)とし、清の康熙帝が帝政ロシアとネルチンスク条約を結ぶまで、これらと対等な外交を結ぼうとはしなかった。また、唐代より本格化した冊封体制の中で周辺各国を宗主下に置き、公が認可する全ての交易は朝貢という形式を取らせ、アヘン戦争で敗れるまでこれに固執し続けたのである。

そして、この自己中心的な中華思想は現代においても残存する。具体的なものとして、1950年以降のチベット侵攻がある。これは、中国が統一されて建国されたばかりの中華人民共和国が、帝国主義勢力からの解放を建前として、チベット全域に人民解放軍を送り込み、中国に編入したというものである。チベットは、独自の文字・言語・宗教・文化を持ち、世界史上、一度も漢民族の支配に置かれておらず、当時も帝国主義勢力などの支配を受けずに独立を保っていた国家である。唐代や元朝・清朝において中国国内にあったのではないかと主張する者もいようが、前者では降嫁による舅婿関係に過ぎず、後者では漢民族ではない北方民族の国家による支配であり、やはり現在の中華人民共和国のマジョリティーを有する漢民族の支配を受けたとは到底言えない。共産党政権は、占領以後、このチベットの異質な文化を弾圧し続け、徹底的に破壊し、抵抗する多くのチベット人を虐殺、または飢餓に追い込んだ。その総数は、中国が主張する南京大虐殺被害者数を遥かに凌ぎ、100万人以上と言われている。この過程において、中国は平和的な試みを怠り、民族浄化を推進し、武力を使った抑圧に徹している。また、その他の事例としては、ウイグル人への弾圧、79年の中越戦争におけるベトナム侵入、ごく最近のことでは、台湾の武力侵攻を正当化しようとする反国家分裂法の制定などがあり、また日本に対しても、中国のIRBM(中距離弾道ミサイル)の照準が当てられていることも忘れてはならない。すなわち、周辺各国に対するこの国の政策には、武力による恫喝という覇権主義的な傾向が強く見られるのだ。真面目に考えて、こんなことが許されて良い訳がない。危険である。防衛白書や2プラス2(日米の外交・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会)において、中国が仮想敵国と見なされることは当然の次第である。

確かに、中国は、先史以来、この東アジアの文化的中心地として周辺各国・各地域に大きな影響を与えてきたことには違いない。中国で誕生した漢字は、現在の日本でも日常で使われており、朝鮮・ベトナムにおいてもつい最近まで一般人の間で使用されていた。日本の遣唐使を始めとする留学生を多数受け入れ続けるなど、例を挙げればキリがない。そして、私を含め、中国の歴史は広く尊敬される所となっている。だが、だからといって、他民族を抑圧するような自己中心的覇権主義が、近代以降の主権国家時代においてまかり通ることが許されるものか。どの民族も平等に自然権を有するはずである。また、武力性を欠いた場合においても、今回のデモによる大使館被害に対する無責任の表明や度重なる内政干渉など、国際ルールを守るという気が見受けられない。未だに、中国は、中華思想の神話の中にあり、“中国”であることに居座り続けているのである。我々は、中国という特殊な国家を考える際、まずは、この特性を常に念頭においておく必要があるのではないか。

 

 

(2) 民間レベルでの中国に対して持つべき態度

 

 ここで、私は、中国が危険国家であるとして反感を持つべきだ、などということを主張しているわけではない。単に、そういう国であるということを知っておけ、無知ではいるな、ということに過ぎないのだ。これは、自らの座標軸内に中国という国家を正しい位置に設定し考えていくために、必要なことなのである。では、この中国の性質を踏まえた上で、中国人に対してどのような付き合い方をすべきであろうか。

 敗戦以降、戦後民主主義において日本人は、日教組などの左翼的な教育や北京とのパイプが太い朝日新聞などのメディアにより、自虐史観を強く植えつけられた。一時期には社会主義国家、特に、大躍進政策で多数の国民が餓死し文化大革命で人民の大虐殺が進行している中国などが、理想郷であるかのような報道も平然となされたほどだ。このような左よりの状態が50年ほど続き、第2次世界大戦での日本軍加害における謝罪外交が行われてきたが、最近、北朝鮮問題が重大な国民の関心事となって以来、この状況が一変したように思える。私は、中高の6年間を寮生活で過ごし、習慣的にテレビをあまり見なくなってしまったが、ある日曜の昼頃、ふとテレビを久しぶりに見てみると、ある番組で次のような光景があった。この番組では、話題となっている事柄を特集しており、このことについてタレント数名と有識者1、2名がコメントを出すというもののようだ。ここで、当時、真っ盛りの反日デモの話題になると、多数の日本人と1名のアメリカ人のタレントが、1名の中国人有識者を叩き合っているのである。数年前では、タレントまでこんなに反中傾向を持つとは考えられなかったことである。確かに、私を含め、大勢の日本人が今回の反日デモに対し反感があるだろうが、一人を多勢で叩くというのは憂さ晴らしに過ぎないではないか。これでは、中国が武力で周辺民族を抑圧するのを、有無を言わせず行っていることと同じである。どれほど相手が悪いと思っていようが、議論はまともに行うべきだ。それが、民主主義を取り込んだ日本人としての最低限の心構えとして必要なことではないか。すなわち、我々は中国人に対し、一部の扇動や社会的なムードに惑わされたりただ謝罪したりするのではなく、自分の頭でよく考え、対等な人間として互いを尊重し合う仲で付き合うべきである。その中で、意見や違和感があれば、堂々と議論し合えばよい。

 

 

(3) 国家レベルでの中国に対して持つべき態度

 

 前段でも述べたが、戦後の中国に対する日本外交は、基本的に自虐的な謝罪外交であった。最近になって、自民党の安部前幹事長や町村外相らに強気の対中態度があるものの、長い間、控えめな態度を取り続けてきたことには変わりない。これは、明確な国家目標を打ち立て決意を持って実行してきた国に対し、目標を定めずに国家権益さえも主張してこなかったということである。東シナ海における日中中間線でのガス田問題の経緯を見れば分かるだろう。このようなことだから、平気で海洋侵犯が行われたり、中国副首相との会談がドタキャンされたりするのだ。確かに、日本は中国に対し国土も人口も十倍以上の差をつけられているが、主権国家と主権国家との関係において外交まで負けている必要はない。まして、自国に対し核ミサイルの照準を向けている国に対しては、なおさら、毅然とした態度をとるべきである。自分の国益を主張することこそが、対等外交への必要条件となる。この当たり前のことを行って来なかった外交当局者は猛省すべきであり、逆に中国側に見習うことが多いのではないか。

 では、日本は何を国家目標とすべきか。海洋領域、資源の保全及び台湾の安定化など即応が必要な問題もあろう。だが、我々には、最大の目標、そしてそれは国際社会にとっても良きものとなることがあるはずだ。中国の民主化である。もし、中国が完全に民主化されれば、冷戦の終結を見れば分かるように、抑圧されている中国人自身の権利も拡張するだろうし、少数民族の弾圧なども収まるであろう。また、核が一党独裁下で保有されているという危険な状況から脱却される。そして、何より、中国が対等な話ができる相手となり、ここでまさに、東アジアそして世界平和の不安定要素であった旧来的な覇権主義は崩壊するのである。欧米の影響やインターネットなどによる情報の流入などによって、中国国内の多くの国民の中で共産党政府に対する不満が高まっている。あともう少しだ。この大目標には内的だけではなく外的な要素も必要である。民主化というこの1点さえ達成できれば、中国四千年の中華思想の神話から解き放たれる。そして、戦後散々叫ばれてきた日本の大目標である恒久平和の実現にも、ぐっと近づくのである。